思考をPCに喩えて スペースとソフトウェアとエゴ
人のパソコンを思考に喩えてみる。
特に、人のエゴとパソコンのソフトウェアの関係に注目する。
人の思考をパソコンで考えた場合、パソコンでいうメモリが人の思考のスペースにあたると考えられる。
CPUやハードディスクなど、その他の部品も含めて考えてみると、各自のスペックは次のようになると考えられる。
- CPU 基本的な頭の処理速度。あまり人それぞれ違いはない。
- メモリ 頭の思考スペース 人により大きく異なる
- ハードディスク 記憶容量 あまり人による違いはない
- ソフトウェア どのような思考パターンをするか 人により大きく異なる
- ウィルス 思考パターンの中でも特に負の感情や強力なエゴを指す 人により大きく異なる
僕が感じるのは、人それぞれ、基本的なスペックは大差ないが、その思考の使い方により人の能力差を産むと捉えている。
ここでは、メモリとソフトウェアに焦点を当てよう。
パソコンで、ソフトをばんばん複数起動させてメモリをいっぱいにすると、パフォーマンスが著しく落ちることは多くの人が経験している。
また、ソフトやアプリをどんどんインストールして、常駐ソフトが知らない間に増えてきて、メモリが常にかなり消費されていることに気づいたという経験もあるだろう。
あとは、いきなりパソコンがめちゃくちゃ重くなったと感じたら、ウィルスに侵されていたとか。
だいたい人間の思考もこれと同じで、
思考している=メモリを消費していること
に近い
常日頃物事を考えてしまう人は半端なくメモリを消費している。
ここでは、考えてしまうという行為に対して、自分で考えようとして考えるのではなく、自分が考えさせられているという表現が正しいだろう。
それゆえに、いざ自分が思考をしようと思っても、その思考に使えるスペースは限られる。
実際、自分が日常的にあれこれ考えさせられるのことによって、パフォーマンスは落ちているのだが、日常的に思考することに慣れ過ぎてしまっていて、そのパフォーマンスが落ちていることに気づかない。
これは、逆に考えるとわかりやすい。できない人、能力が人はごちゃごちゃと思考を続ける人が多い。
これは、以前のエントリーである
と同じことである。
ちなみに、話は脱線するが、僕は何回も同じことを繰り返す。このブログを見ていただいている方は、お気づきだろう。今回の話も、結局、心を空にしていくことが大切だ。というオチになる。
本当に自分の思考を意識して観察することは難しい。自分が考えているのか、それとも考えさせられているのか、どちらなのかたいていわからないと感じる。
頭の中の呟きが、今の自分自身ではなく、自分の過去と経験からやってきた妄想であることに気づくことができた時、人は自分の本当の意識を悟ることができる。
あっ、これ俺じゃねぇ。って気づく。過去について、未来の不安について、他人についてごちゃごちゃ考えたがっている意識が自分の中にある。
このごちゃごちゃ考えたがっている意識は、宗教や自己啓発で様々な呼ばれ方をしている。自我とかエゴとか欲とか感情とか妄想念(マーヤ)とかインナーチャイルドとか。
で、このごちゃごちゃ考えようとしているエゴを上手くコントロールしようってのが意志。
意志が弱いと、エゴが考えるままに考えさせられてしまって、たいていは自分に甘くなって堕落したり、努力が継続しない。それに加えて、集中力も出てこないだろう。エゴが強力である場合も同じような状況になる。
話を元へ戻す。
人は自分の中にあるエゴを意識し続けられない限り、自分が思考しようと思わなくとも、勝手に思考し続ける。
しかし、自分で自分が勝手に思考していることに気づいて、その思考をとめることができれば、自分の思考のスペースはフルに活用できるだろう。
その時はもはや、何も考えるという意識もなく、目の前の物事に対して意識を向けられ、考えを閃くことができる。
買ったばかりのPCは、サクサク動くが、しばらく使い続けると重くなるのと同様に、人の思考も生まれたてはサクサク処理できるが、ある一定時期から理解力と記憶力が落ち始めてくる。
だいたい3歳前後までは、ほとんど自我というものが存在しない。そのため、言語を無意識的にすごいスピードで理解できるし、音楽やスポーツも驚異的なスピードで身につけることができる。
この時期まではほとんどの人は記憶がないことがわかる。だいたい4歳ごろから、自分の認識できる記憶が発生する。自我、エゴは記憶や経験からやってくるため、4歳5歳あたりからエゴが徐々に顔を出して、強くなっていく。
そして、このエゴが出ることにより、人の頭は、思考によって埋め尽くされていく。
パソコンで言えば、気づけばどんどん常駐ソフトが起動するようになってきて、マシンメモリが圧迫されている状態となる。
思考の中でも、負の感情が絡む思考はウィルス並のネガティブなパワーを発揮する。
感情が強烈に働いている場合、エゴが全面に出ている場合、多くの人は思考をやめたくてもやめられない。ひたすらにぐるぐると同じことを思考し続ける。
ネガティブな思考はパソコンでいうウイルスのごとく思考を蝕む。こうなっている場合は、自分の能力を全く発揮できないだけではなく、他人に危害を及ぼす可能性すらある。
終わりに
今回の話は、読んでいて気持ち悪いと感じる人もいるかと思う。
それは誰がそう感じたのか。
なぜそう感じたのか。
そう感じる人は、自分は自分以外の何者でもないと強く信念する。
自分の中にはうすうすエゴの存在を感じるが、それをひっくるめて自分自身なのだと信ずる。
もともと、この自分の中のエゴの存在に気づくことは難しい。
絶えず鳴り止まぬ思考を止めてみることで、はじめて、それまでの思考がエゴからくるものであったと認識する。
都会の中では夜空を見ても星があまり見えない。周りに光がありすぎるから。都会の人は今見ている夜空が空だと認識する。しかし、いったん都会から離れ、全く人工の光の無く、空気の澄んだ山の上で星一面の夜空を見ると、空の本当の姿を知ることになるだろう。
エゴに埋もれた思考は、その思考そのものが自分自身だと感じる。心を澄まして、自分の思考が自分自身でないことを感じ取ることができれば、その人は人の本当の姿を知る。
エゴの思考に気づく簡単な方法は、意識的に深呼吸を続けることである。
深呼吸を続けると決めたつもりが、気づけば別のことを考えている。
下手をすると、その別のことを考えはじめて連想が続き、自分で呼吸を続けようと思ったことさえ忘れてしまっている。
ここで、何で自分は呼吸を続けようと考えたのに、思考し始めて、呼吸することを忘れてしまうのか?と考える。
これを繰り返すと、あぁ、自分てこんな思考パターンしているんだなと、自分の思考パターンに気づくようになる。それと同時に、他人の思考のパターンにも、同様の傾向があることを発見するだろう。
これを進めていくと、あぁ。もともとみんな同じ頭の構造しているんだなぁとわかってくる。ベースは同じで、どんなソフトウェアが入っているか。メモリをどんな感じに使っているか。
自分を理解することが、他人を理解すること、人間そのものを理解することにつながる。
心を空にして、深呼吸。