自己責任
もう一つは、君が困っているのは、それまでの君の行いが悪いからだね。まぁ、自己責任てやつだ。というパターン。
相手の過去をごっそり否定するパワフルな言葉として、自己責任は乱用されている。
自己責任の責任はいったい何なのか?
人は何かと責任を探すことが好きらしい。
自己責任も例外ではない。自己責任という言葉が出るとき、誰が原因でそうなっているか、その対象者は明らかである。そして、その対象者を無意識的に攻撃するために自己責任という言葉が投げかけられる。
困っている人が困っている結果に陥る要因は、その人自身の問題が大きいだろう。困っている人は、なぜ自分が困るようになっているか、わからない場合もある。
そうなっている者に対して、自己責任という言葉を浴びせて、本人が悪いと断定してしまっては、彼らは自らの過ちを省みる機会を失う。
自己責任という言葉は響きが良いだけで、中身がない。
中には、自分が悪い状況に陥ったのを、あくまで自分が原因であると考えず、周囲が悪いと主張し続ける者もいるだろう。そういう人間は、残念ながら捻れた価値観を形成してきてしまった。強力すぎるエゴを育ててきてしまった。
このような人間には自己責任という言葉をぶつけてとあまり意味がない。すぐに言い訳したり、何か周囲のせいにすることが体に染み付いてしまっている。自己責任という言葉で攻撃すると、余計に反発するだけだ。
実際には、あらゆる人の行動は自己責任である。自らの人生は自らの意志でもって拓いていく。
しかし、人が過ちを犯した時、困窮している時、周囲ができることはなんだろうか。本人が見えていない因果関係を気づかせてあげることではないだろうか。周囲から自己責任という漠然とした言葉を投げかけてしまうと、本人はますます、自分の中の過失を見失う。
何があっても、何が起ころうとも、自分の行いから起こったのだと、全て受け止められる人であれば、自己責任という言葉には無縁となるだろう。
この逆に、自己責任という言葉は他人や環境のせいにしようとする人に対して投げかけられる。
自己責任という言葉を良く聞くようになったのは、使う側の意識も一因であろうが、自分の不幸を他人や環境のせいにしたがる人が増えたからなのかもしれない。