何してもダメな人ちょっとそこ座れ
何してもダメな人
ちょっとそこ座れ。
君がそれなりに何かできるような人であれば、下の出口からすぐに立ち去った方がいい。此処から先は、何してもダメな人専用だ。
よし。何してもダメな人間が集まったわけだ。早速始めようか。
君は、何をしてもダメな人。そうなんだね。
君、何をしてもダメって思っているけど、何ができて何ができないかって真剣に考えたことあるかい?
まず、自分が何ができて何ができないか考えてみること。これが大切だ。
これを考えてみれば、自分がなぜ何をしてもダメって感じるのか、その原因がおぼろげながらも感じとれるはずだ。
こう、自分がダメだと感じる時ってのは、仕事とか勉強とかスポーツとか、周りと競争の要素が入ってくることに対して、しょっちゅう、自分はダメなんだなぁって感じないかい?
自分の好きなことをやっている時ってのは、別に自分がダメとかあれができないとかこれができないってことは考えないもんだ。
競争に勝っていくには、努力が必要となる。
何やっても自分はダメだぁ。って感じる人は、努力ができない。いや、努力の仕方を知らないんだ。
努力できれば、何かができようになる。努力ができなければ、何もできるようにならないんだ。
これは君も充分わかっているだろう。いや、わかっているつもりになっているだろう。
努力の大切さを全く知らない人は、ほとんど皆無なはず。努力は大事じゃない。って言う人はまずいない。しかし、なんとなく、君は努力不足であると感じている。
何やってもダメな人は、まず、努力はしようとする。
でもね、その努力の仕方に関して理解が浅いから、努力は長続きしないし、その努力の程度も浅いんだ。
じゃあ、その努力って何なのだろうか?
野球で例えると、甲子園に行くつもりで努力する高校球児と地区予選2回戦突破を目指して努力する高校球児の努力って言えば全然違うのはわかるかな?
何やってもダメな人の場合、この努力の程度が、地区予選2回戦突破どころか、1回戦も突破できないような努力量しかできていないんだ。
そして、その少しの努力量で成果を期待してしまうわけだ。
でも、本人は、あんまり自分の努力が足りないって気づけていない。
負けて負けて、負けたって、何で負けたのかあんまり気づけないし、考えようとしない。
負けた時に、あれがダメでできなかった。これがダメでできなかったと、すぐに周りのせい、何かのせいにしないかい?
失敗した時に、何が足りなかったのか、自分自身をしっかり見つめることできるかな?
何してもダメな人はさ、ここが甘いんだよね。とにかく、自分に甘い。
失敗した時にまず自分を省みることができないんだな。
だから、どのくらい努力をすればいいのかわからない。
本当に自分の今の環境を打破していくためには、どれくらいの努力をどれぐらいしていけばいいかっていう感覚が全然ないんだ。
まずは、己を見つめるようにするんだよ。
特に、何か上手く行かなかったとき、努力が実らなかったとき、自分自身をしっかり見つめることだ。
まわりのせいにすることなく、言い訳をすることなく、自分自身の足りないところに気づくようにするんだ。
まだこれを見て、いや自分はこれはわかっている。だけど、自分は本当に努力しても何やってもダメなんだ。そういう人が中にはいるかもしれない。
それは、自分が自分でそう勝手に思い込んでいるだけだ。それは自分に甘い人が出す言葉なんだ。
ここも含めて、自分の足りないところに謙虚に向き合えるようになれば、君は、自分自身が変わるためのヒントに気づくことができるだろう。
すぐに見つけられるはずさ。
泥で濁っている湖の底に眠る宝は、すぐに見つけられないが、泥が落ち着き、澄んだ湖の底にある宝はすぐに見つかる。
謙虚な心で、自分を見つめてみることだ。そうすれば、できることが1つ2つと増えていく。
自分が何してもダメな人だって思うことが、そもそも自分に対して言い訳しているってことに、気づけるはずさ
少しずつ変わっていこう。
こちらで、正直の大切を学ぶことも大変よろしい。
自分に正直に生きること。それもまた、重要なことだ。