好きな人に対する意識は未完了の欲求から膨らむ
好きな人がいる。その人を忘れられない。そして思いがどんどん積もっていく。それは、好きな人に対する欲求が未完了だから。
この好きな人というのは、片想いの場合である。付き合った場合、相手に対する意識は変わっていく。付き合いはじめは、片想いの頃と同じような気持ちを維持するが、時が経つにつれてこの気持ちは変わっていく。
恋愛のパターンは2つに分けられる。
付き合ったけど別れた場合と付き合うことなく、何もなかった場合、あるいはフラれてしまった場合。
自分がフラれてしまうような形は、未練が残る。欲求が未完了のまま残る。
自分が過去にああしたい。こうしたいと考えたことは多くが未完了の欲求になっていく。あれもしたかった。これもしたかったと。
恋愛もそう。そして、その未完了の気持ちが強く残る。
この未完了の欲求を捨て去ることは自己向上には重要である。欲求が生じても、全てを満たすわけにもいかない。そして、この欲求を捨て去るためには、欲求そのものを理解していく必要がある。
どうして、自分がそのような欲求を持ったのか。どうしてその人を好きになったのか。
こう考えていくと、面白い。人が人を好きになる時、あまり理由が無い。男が女を好きになる時、かわいいから、とかやさしいからとかそういった理由が挙げられるかもしれないが、それを突き詰めようとすると理由がわからなくなる。
面白いのは、好きになる時、一人の人を好きになるようになるということである。
大抵の場合、この人。ってことでピンポイントに好きになる。ただ、この感覚は恋愛経験が豊富になってくると、変わってくるようである。
基本的には1人に注目していく。付き合う前から好きっていう場合もあるが、付き合ってから好きになっていく場合もある。
1人の人に対して、ずーっと考えるようになって、好きになっていくんだろうな。ちょっと相手と近づいたこととか、相手の仕草で印象に残ったこととか考え続けるんだろうな。
それでどんどん想いが膨らんでいく。
で、恋に敗れた場合は、あるいは何もしないで終わってしまった場合は、付き合う状態を知らぬまま、未完了の欲求が生まれるわけだ。
人間は未知であることに対して感情が膨らむ。付き合う状態を知らぬままに恋愛が終わると、そこに未完了の欲求があり、未知なる状態が残る。
相手を好きになるとき、相手について未知なることが多いから、だから感情が増幅されるんだろうな。そして、様々な期待を膨らます。
人は、未知であり、好意を抱くものに対して希望や期待を膨らませていく。週刊誌の次週予告なんかもそうだ。続きが気になっていく。
この続きに対する期待が膨らんだ状態で、その続きが無いと、もやもやした未完了の感情が心の中にとどまっていく。
この未完了の感情をどう取り扱っていくか。まずは、期待を持たぬことである。期待すると、期待が膨らみ、感情がうわついてくる。
期待が無ければ失望も無い。
だが、ここで、期待を持たないと努力が生まれないという声も挙がるかもしれない。人は期待して、努力することに慣れすぎている。
期待もせず、ただ、ひたすらに努力する生き方を多くの人は知らない。それは、芸術的な創造的な生き方である。欲求の束縛から開放された生き方。
努力を強いる生き方も欲求に縛られた価値観。努力しようとかしないとか考えることなく、頑張る。ただあるがままに。
それが、期待を持たずに努力する生き方。そうすれば、未完了の感情が生み出されることはない。未完了の欲求がたまると、雑念となり蓄積していく。それをまずつくらない。
期待というのは、そこに依存の心も含まれる。自分ではない誰かが、何かをしてくれる。依存の心にはそのような期待が含まれている。
まずは理解をしていこうか。