どうしてだらだらと動画を見てしまったり、ブログを見てしまうのか
心の底で、今これをやる時間ではないと考えながら、だらだらと動画を見たり、ブログをみてしまうのは何故か。
1つは習慣化されている可能性がある。習慣的になっていて、同じパソコンで同じ姿勢になると気が緩む。1度習慣がスタートしてしまうとしばらくは止まらない。ぶっ通しで、次の動画、次の記事を見てしまう。
何かを途中でやめると、もやもやした気持ちが残り、なんとなく続きが気になる。で、1つのコンテンツだったら次第に飽きてくるのだが、複数のコンテンツだと、飽きる前に次のコンテンツ、次のコンテンツへと進んでいく。そうして、自分の馴染みのあるコンテンツが増えてくると、そのコンテンツ自体への理解度が深まっていく。
そして、コンテンツへの中毒性を獲得する。動画を見る中毒性。まとめブログを見る中毒性。中毒が中毒を呼び、そしてやばいと頭で危機感が募るとまたその中毒性が増していく。
しかも、これらのコンテンツは、ネットへの接続環境さえあれば、無料で楽しむことができてしまう。お菓子の味を知ってしまうとそれにハマってしまうように、一度コンテンツの面白さを知ると、なかなか忘れることはできない。
また、コンテンツの習慣化視点とは別のアプローチとして、環境による心の緩みも動画やブログにハマってしまう考察を行う。
人はぬるい状況になると自我が発動してきて気が緩む。どうやらこの可能性が高いようだ。自分達は自分の部屋にいると緊張感は無くなる。何をやっていても周りから刺激はなく、そして、緩んでいく。
自分としては、パチスロ動画やまとめサイト、ゲーム動画の閲覧を禁じていきたい。自分がかつてタバコを止めたように、これらを止めていきたい。これらに関われば、人生が破壊されていく。
なんとなく自分で有益な情報があるのではと考えてしまっている自分に鞭を打ち、見る必要のないこと、知る必要のないことと自分に言い聞かせる。
知る必要のないことだ。これは。見る必要がないのだ。少なくとも、自分にとっては。
確かに、見ていて面白い。なんか良いことを学んだような気分にもなる。
しかし、実際、その後に充実感がなく、なんとなく後悔の念がこみ上げてくる場合が多い。
タバコと同じだな。まとめブログも。動画も。
意志でもって乗り越えていく。
時間の楽しみ方の1つという見方もあるが、中毒的な時間の使い方は、歯止めが効かなくなる可能性がある。
努力をする時間が、別のことに費やす時間が無くなる。
それなら、もともと別のことに夢中になっていればいいってか?いや、それもまた難しい選択。もともと夢中になって、勉強したり、研究していれば、別に今考えているようなことに悩まされることは無いだろう。
夢中になれずに、道草に心を奪われてしまうような状況だから困るのだ。
まずは、深呼吸だな。肛門を閉めよ。
引き続き考察を続けていこう。