闇ある中に光あり。それが人生だ。
闇ある中に光あり。それが人生だ。
これを理解できれば、人生で不幸がやってきたり、不健康がやってきても、あぁ。それこそが人生であると、受け入れることができようになる。
なぜ闇ある中に光ありか。
それは、宇宙的な視点と人生的視点から解釈できるんだ。
宇宙ってやつは、みんな知っての通り、基本は真っ暗だ。太陽のような恒星があって、はじめて光が存在するようになる。
ここ。この、あまりにも、当たり前に感じているところに、発見が隠されている。
宇宙がまず、暗いと、そう決まっているから光って概念が生まれる。光しかなければ、光があることに気づけない。
つまりは、光ってのを感じるために、光の存在をわかるために、闇ってのがあると解釈できる。
不思議に、宇宙ってのはそうなっている。そして、地球も、人間も、宇宙の産物だ。
で、人間の方を考えてみたい。これも、宇宙と同様の解釈ができるだろう。
不幸があるからこそ、幸せがあり、病気があるからあるからこそ、健康があり、死があるからこそ、生がある。
世の中、裏表になっている関係は多いが、そもそも、裏があるから表があるわけだ。
人生というのは、ただ幸せに生きれるようにできていない。やはり、不幸という概念があってこそ、幸福の概念が生まれる。
辛い時を乗り越えた時に、大きな喜びがある。難しいことを解決した時に大きな喜びがある。
そう。喜びというのは、難しいとか、辛いとか、負の要素がなければありがたみがないのだ。
今、自分達が恵まれているかってことは、不幸を体験したり、不幸な人と関わってみないと感じとることができない。
健康のありがたみも、病気になってはじめて健康のありがたさに気づく人が多いわけだ。
だから、この、闇あるところに光ありっていう考え方を受け入れることができればさ、無闇に闇を恐れなくなるわけだ。
闇来ても、いつか必ず日は登る。
だが、人はやっぱり闇を極端に恐れるんだなぁ。常に光の中にいようとする。
とにかくみんな安心を確保しようと動き回るんだ。
それは、自然の生き方じゃあない。地球もそうなっていないしね。
みんな光ばかりにしがみつこうとするから、闇に陥ることを極度に恐れるんだ。
失敗を恐れ、不幸を恐れる。
で、結局その悪いイメージを抱えたまま闇に落ちていく。
いつか、闇になることを知っていれば、自分に不幸がやってくるだろうし、不健康もやってくるかもしれないと、覚悟できれば、闇に陥ったところでどうってことはない。
気が沈むことはあるかもしれないが、また登っていくものさ。
究極的にはさ、闇があることを感謝しようってこと。不幸を感謝して、不健康を感謝する。だって、まだ生きているんだもの。
光への執着は、闇への恐怖を増大させる。成功にこだわることが、失敗を生む。
うまくいかないからこそ、上手くいったときが面白い。