考えられない。考える。考えない。
考えられない。考える。考えない。
僕は、人のあらゆる行動において、考えられない。考える。考えない。といった3段階の状態があることを感じている。
他には、
食べられない。食べる。食べない。
喋れない。喋る。喋らない。
力を入れられない。力を入れる。力を入れない。
寝れない。寝る。寝ない。
ここで、僕は3つめの段階に注目している。3つ目の段階に、少し言葉を足してみよう。
考えられない。考える。余計なことを考えない。
食べられない。食べる。余計な量を食べない。
喋れない。喋る。余計なことを喋らない。
力を入れられない。力を入れる。余計な力を入れない。
寝れない。寝る。余計な時間は寝ない。
こう言葉を変えてみると、イメージがしやすくなると思う。
人は、それぞれの行動の第一段階に意識が集まってしまい、第三段階の大切さに意識を向けられない。そう、僕は感じている。
なぜなら、第一段階と第三段階は、外見的には判断しづらいという理由と、第一段階を否定してしまい、第二段階の行動を重視してしまうと、第三段階の大切さにまず気づけないからだ。
具体的に考えてみよう。
ここでは、タイトルにもあるように、考えられない。考える。考えない。について述べていく。
こいつ何も考えてないな。
人はしばしばこう感じる。この時、実際に、その人間が何も考えていないということはほとんどない。たいてい、別のことをぐちゃぐちゃ考えていて、目の前のことを考えられない。この状態は、周りから何も考えてないように見えてしまう。
周りから、こいつ何も考えていないな。と、良く判断される人は、たいてい理解力が低い。何も考えていないように見えて、別のことをごちゃごちゃ考える人は、目の前のことを考えられないがゆえに、理解が鈍い。この場合は、余計なことしか考えない人、こう言い換えることもできるだろう。
いつも見た感じ何も考えてなさそうで、本当に何も考えない人は、100人に1人いるかいないか。それほどまでに、何も考えないことは難しい。
これは、瞑想の経験がある方はおわかりになるであろう、余計な思考、つまりは雑念はちょっとやそっとじゃ取り除くことは難しい。
考えないことができる人は、余計なことに囚われることなく、集中することができる。理解力、記憶力、創造力に優れるので、まず、はたから見ていて、何も考えていない人のようには見えないだろう。
僕は、余計なことを考えない、第三の状態を理想的な状態だと捉えている。日常、全く考えることなく生きることができれば、素晴らしい。
こう考えるようになるまで、僕はもう日常的にごちゃごちゃ考えて生きてきた。
何も考えてなさそうな人を見て、心の中でその人を馬鹿にしながら、自分はいろんなことを考えているんだぞ。と。
そのうちに、考えなくても良い、余計な考えで頭が満たされていて、気づけば目の前にあることからも心が離れて別のことを考えるようになってしまっていた。
余計なことを考える習慣があると、人は他人の言動に心が囚われるようになる。感情は不安定になり、心配、言い訳、正当化、批判の心がむくむく育ってくる。
徐々に自分の理解力やコミュニケーションに支障が出てくるようになる。
しかし、この時は、自分の考える量が足りない、勉強不足だ。という意識がやってくる。
スポーツや武術と関連させた話になるが、どのスポーツや武術も余計な力を抜き、リラックスすることが上達のコツである。
力が入らない。力を入れる。力を入れない。
力を入れないことが大切だ。
達人は力の抜き方を心得ている。
これと、やはり考えることもどうようで、余計なことを考えないことは、頭を良く整理し、洗練させたアイデアを生み出すためには大切なのだ。
しかし、何も考えていない人を意識して、自分は考える人だと自惚れが入ってしまうと何も考えない方が良いってことに気がつくことができなくなる。
しかしながら、実際、考えないという状態はどのような状態か、そして、考えないようにするにはどうすれば良いのかという疑問が湧いてくるだろう。
考えない状態は、頭の中のお喋りと動画をやめた状態だ。
これはぼーっとしている状態とも異なる。人はぼーっとしている時ににも、何かを考え続けている。頭の中でお喋りや動画を繰り返している。
お喋りや動画は、同じパターンが何回も繰り返されながら、関連した、お喋りや動画に移り変わっていく。
ネットサーフィンで関連するページや動画をなんとなく飛び移ってしまうように。
思考をやめるには、まず、自分が常に頭の中で様々なことを考えていることに気づく必要がある。
そして、その内容はどのようなものか、どの時に、特に考えているか、それを理解していく。
スポーツにおいて、自分がどこに無駄な力を入れているのか観察するように、どう自分が日常で思考しているか理解するのである。
注意深く観察すると、自分が日常何を考えているかわかるようになってくる。
日常的に考えることの無駄の多いこと多いこと。
僕は、他人や自分の周りに対しての批判や、近い将来に対するスケジュールに対する心配を繰り返し繰り返し考える習性があることに気がついた。
時間としては、過去の3日間までの出来事で、感情的に他者に対して、不愉快に感じたことと、近い将来にやらなければならないと感じることが主である。
考えるタイミングとしては、風呂に入っている時とか、自転車に乗っている時、リラックスしてソファーに座っている時、3人以上で会話している時など、特にごちゃごちゃ考えていたようだ。
内容で一番多いのが、他人に関することである。
あいつはこうだ。とか。この人がこうだから、自分は今こうなんだ。とか。こいつは何でこうなのか。とか。
他人に対する意識を消していくには、これまたやはり理解をしていくことが大切になる。
人はわからないと感じるから、もやもやしたものを感じ、そして、そのもやもやした状態でぐるぐる考えるから、またもやもやする。
と、話を続けていくと終わりどころが見えなくなってしまった。。。
考えないことは、できるようになってしまえば簡単だが、できるようになるまでが難しい。
これまでの色んな習慣が身についてしまったから。。。昔の赤ん坊の頃は何も考えることなく生きていた。そして、この頃は、何事もものすごいスピードで吸収して身につけていく。
年をとり、思考がはじまり、なにかとなにかと考えるのが当たり前になってしまった。
考えられない。考える。考えない。
言い換えれば
余計なことばかり考えてしまう。
目の前のことを考えることができるが、ふと余計なことばかり考える。
余計なことを考えない。
思考の渦から解放され、心を空に。