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ねこ哲の思考メモ

気づきや日常をメモしていく。後に思考を整理するために。

自己責任

今の日本社会は自己責任という言葉が流行っている気がする。

自己責任にも2パターンあって、1つは会社が製品や商品を説明する時に、このやり方は自己責任でお願いします。といった、うちでは責任とれませんよというパターン。

もう一つは、君が困っているのは、それまでの君の行いが悪いからだね。まぁ、自己責任てやつだ。というパターン。

こちらの後者のパターンが、ここ近年、僕が良く見聞きする印象である。

君が悪いんだよ的な自己責任は、結果に対して適用される場合が多い。こうなったのは君がいけなかったんだ的な。そして、それまでの行いを否定する。

例えば、病気で考えてみようか。
あー君。病気になったんだ。こんなに太っちゃってまぁ。そんな生活してたら、病気になるよ。自己責任だね。

相手の過去をごっそり否定するパワフルな言葉として、自己責任は乱用されている。
これと同じ言葉として、自業自得がある。ここ近年の傾向としては、自己責任の方が良く用いられる。

自己責任の責任はいったい何なのか?

責任には、未来に対して負う責任と過去の結果に対して負う責任と2種類に分類することができる。過去の責任とは、悪い結果に対して、その原因となった人物に罪を被せることに近い。

過去の責任は、誰が罪を被るのかに話の焦点がいく。自己責任に関しては、誰が悪いかは明らかなものとして扱われる。そして、自己責任と言われた人の過去の行動が否定される。

この自己責任という言葉で用いられる責任は、どうやら他の責任とはニュアンスが異なるようだ。

人は何かと責任を探すことが好きらしい。

自分が悪い立場に置かれると、人は悪い原因を探し出そうとする。俺が今、こう感じているのは、周りの人間のせいだ。

悪い奴を見つけて、責任という正義を振りかざし、糾弾を行う。

他者に対して責任という言葉が用いられる時は、まず、攻撃的な意識が含まれている。

自己責任も例外ではない。自己責任という言葉が出るとき、誰が原因でそうなっているか、その対象者は明らかである。そして、その対象者を無意識的に攻撃するために自己責任という言葉が投げかけられる。

困っている人が困っている結果に陥る要因は、その人自身の問題が大きいだろう。困っている人は、なぜ自分が困るようになっているか、わからない場合もある。


そうなっている者に対して、自己責任という言葉を浴びせて、本人が悪いと断定してしまっては、彼らは自らの過ちを省みる機会を失う。


自己責任という言葉は響きが良いだけで、中身がない。


自己責任という言葉を浴びせても、言われた側はただ混乱するだけである。

中には、自分が悪い状況に陥ったのを、あくまで自分が原因であると考えず、周囲が悪いと主張し続ける者もいるだろう。そういう人間は、残念ながら捻れた価値観を形成してきてしまった。強力すぎるエゴを育ててきてしまった。

このような人間には自己責任という言葉をぶつけてとあまり意味がない。すぐに言い訳したり、何か周囲のせいにすることが体に染み付いてしまっている。自己責任という言葉で攻撃すると、余計に反発するだけだ。


実際には、あらゆる人の行動は自己責任である。自らの人生は自らの意志でもって拓いていく。


しかし、人が過ちを犯した時、困窮している時、周囲ができることはなんだろうか。本人が見えていない因果関係を気づかせてあげることではないだろうか。周囲から自己責任という漠然とした言葉を投げかけてしまうと、本人はますます、自分の中の過失を見失う。


何があっても、何が起ころうとも、自分の行いから起こったのだと、全て受け止められる人であれば、自己責任という言葉には無縁となるだろう。


この逆に、自己責任という言葉は他人や環境のせいにしようとする人に対して投げかけられる。


自己責任という言葉を良く聞くようになったのは、使う側の意識も一因であろうが、自分の不幸を他人や環境のせいにしたがる人が増えたからなのかもしれない。

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