ねこ哲の思考メモ

気づきや日常をメモしていく。後に思考を整理するために。

僕の生徒のヤンキー化

僕は家庭教師で高校生の面倒を見ているが、その生徒が徐々にヤンキーになりつつあるようだ。

私立の高校に通い、バイトをしている。そして、友達の影響で、バイクをいじりはじめている。

服装もB系っぽい服装で、髪を染めている。

今高2で、本人は大学進学志望である。このままいけば受験では思うような効果は挙げられないだろう。このままでは、まず上手くいかないよと伝えて、本人もその場では頑張りますと言うが、すぐに元通り、勉強をしない状態になる。

僕の価値観では、高校時代に打ち込む対象はスポーツでも勉強でもどちらでも良いが、遊びのためのバイトとバイクは打ち込むべきではないと考えている。

バイトもバイクも金が絡んでくる。

家庭の事情で生活のためにバイトが必要であれば仕方ない。だが、遊ぶためにバイトをすると、常日頃金がらみのことに意識が持っていかれるようになり、集中力が低下し、学業もふるわず、かなりねじれた高校生活になる。

ここまでの話は、良くある高校で落ちこぼれていくストーリーである。

こう人が若くして落ちこぼれていく過程を、僕は観察している。

なぜ、落ちこぼれていくと言えるのか?

それも一つの青春の形だと言えるのではないかという声もあるかもしれない。

今時のヤンキーは、芯がない。

ただ、本能のままに、エゴの赴くままに群れて、人に迷惑をかけて、目の前の苦労から逃げて、楽を求める。

僕のイメージでは、昔のヤンキー(といっても昭和の、ろくでなしブルースのようなヤンキーだが)はもうちょっと芯があったと思う。

昔の方が悪いことしていただろうが、ヤンキーなりのポリシーがあって、規律を定めて、ヤンキー社会を形成していたと思う。

昔の社会も今よりも不安定な要素があったから(今も未来に対しては不安定だが、社会構造的には安定している)、ヤンキー上がりでも持ち前の根性で、社会でひょっとしたら成り上がるかもしれないという可能性を感じさせていた。

今は、全体的に弱体化していて、ヤンキーがただの反社会的な無能力者の群れと化しているではないかと感じている。

僕の教えている生徒は完全なヤンキーではないが、ちょいヤンキーな状態である。勉強を教えはじめてから5年間、徐々にヤンキー的な要素が増えてきている。

生徒は今の時点で他人には迷惑をかけないものの、親にはがっつりと反抗的態度を示し、学校がつまらないとぼやき、地元の仲間とつるみ、バイトに明け暮れ、バイクをいじる状態である。

この生徒を見る中から、今時のヤンキーは徐々に衰弱しているのではないかと感じる。

ヤンキーは群れる。

彼らは、時間があろうとなかろうと、とにかく群れる。

近年のスマホの普及により、LINEやらTwitterやらで四六時中お互いつながるようになり、より群れるようになってしまっている。

無料のゲームを貪り、動画やまとめサイト閲覧にふけり、仲間同士でつるむ。

バイトに没頭し、バイクをいじり、仲間同士でつるむ。

学校へ行き、授業へついていけず、追試になり、仲間同士で社会に対する愚痴をこぼす。

ヤンキーは、まず勉強や努力ができない。そして、お互い共鳴し合い、つまらん社会だと愚痴をこぼす。

生徒は言う「人生結局、誰でも死ぬんでしょ?じゃあ、勉強して出世したりしても、結局死ぬんだったら、辛い思いをして努力しても意味ないしつまらない。人生楽しく生きた方がいい。」


僕は言う「それはね、人生に対する理解が薄っぺらい人間の言葉だ。

例えば、将棋を良く知らない人間が、高度な将棋を見ても面白さを感じないだろう。

野球のルールをろくに知らない者が野球を見るのと、野球を知るものが野球を見るのと全然感じ方が異なる。

人生もしかり。

人生に対する理解が浅ければ、そこに面白みを見出すことができない。何事も素直な心を持たぬ初心者ほど上手くいかないときに愚痴をこぼす。

君の言う楽しみはただの感覚的な快楽のことだろう。これに浸ると、何事もすぐに飽きるようになる。より強い刺激、より新しい刺激ばかりを求めるようになり、目の前の素朴なものから楽しみを見出すことができない。


味付けの強い食事でなければ、味を感じないような状態になっているんだね。人生に対して。


そして、人生をRPGに喩えると、適切に自分をレベルアップさせていき、困難を乗り越えられるようにすることが、人生でもRPGでも大切なんだ。自分のレベルアップを怠ると、障害に対して負け続けるようになる。そして、障害に立ち向かうのではなく、逃げ続けるようになってしまうんだ。


目の前のことから逃げて、楽なところに身を置いてしまっては、レベルはちっとも上がらなくて、ただ時が過ぎていく。」


ヤンキー的な人達は、ネガティブな意見でお互いに共感しあう。普通のできない生徒との大きな違いは、ヤンキーは群れることだ


ヤンキーは群れ合う。それにより、そのヤンキー以外のコミュニティを否定する。


俺たちは最高の仲間だ。共に語り合っている。高校の他のやつらは個性がなくてダメだ。


ヤンキーは自分達を正当化し、他を否定し続ける。一人一人の心は弱い。だから、群れ合い、お互いに自分達の正しさを認め合おうとする。


こうなると、努力の入り込むスキは無い。心に火をつけたところですぐに消える。周囲に消されてしまう。


弱者の集団は、仲間が抜けがけするのを恐れる。だから、誰かが努力をしようとしても、そんなものは意味が無いと投げかけ、抜けがけするのをやめさせる。


こういう生活をしていれば、家庭内での関係はどんどん悪化していく。そうして、ヤンキーはより群れ合うようになる。


この負のスパイラルは、本人が強烈に抜け出したいと思わない限り、抜けられないだろう。恐らく、本人は負のスパイラルに陥っていることを自覚していない。


目の前の辛さを逃げて、快楽を追い求める。ただ、その繰り返しの日々である。


この負のスパイラルがはじまる最初の最初は、周囲に対する劣等感と不満だろう。それを共感しあう者が集い、そして、お互い落ちぶれていく。


スマホの中学生、高校生への普及により、ネガティブな意識の共鳴が今後より強まっていくだろう。


負のスパイラルに陥ってしまうと、外部からできることは限られる。

僕は生徒に勉強を教えるために家庭教師をしているが、ヤンキー化しつつある生徒は、もちろん勉強で成果を挙げられない。

勉強の教えることは教え、あとは良く観察してみよう。彼の生き方からエゴとは如何なるものか、学ぼう。