ねこ哲の思考メモ

気づきや日常をメモしていく。後に思考を整理するために。

続・音大卒業生の就職状況に関する考察ー頂いたコメントに学ぶー

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昨日、音大卒業生のニュースに関してブログを書いたところ、沢山のコメントを頂戴したので、感謝の気持ちで溢れながら、コメントからまた理解を深めていきたいと思う。

 

suware.hateblo.jp

 

こちらの話の元ネタはこちら・・・

news.livedoor.com

 

前回の記事に関しまして頂いたコメントを幾つか転載いたしますと、

 

音大卒業生の悲惨な就職状況に関する考察 - ねこ哲の思考メモ

「就職できないから」入学者を絞るってだけなら納得度低いけど、18歳人口がかつての半分になってることを踏まえての話なら、それなりに分かる。

2018/10/22 16:58
音大卒業生の悲惨な就職状況に関する考察 - ねこ哲の思考メモ

音楽大学の卒業要件で研究をしている人ってどれくらいいるんだろう。大学は就職をする場所ではないって話はわかるんだけど、音楽大学って音楽学校と何が違うんだろう。どういう風に音楽の世界を前に進めるんだろう

2018/10/22 11:10
音大卒業生の悲惨な就職状況に関する考察 - ねこ哲の思考メモ

数学者よりも数学の先生が多く、作家よりも国語の先生が多い。スポーツ選手よりも体育の先生のほうが多い。音楽家より音楽の先生のほうが圧倒的に多い。音楽で食っていく人たちが学校を作る理由としてはよくわかる。

2018/10/22 09:41
音大卒業生の悲惨な就職状況に関する考察 - ねこ哲の思考メモ

「就職できないなら入学者を絞るべき」って言う考えに違和感。就職を目的としない学問ってそんなに否定されるべきなの? 大学ってのはそんなに就職に責任を持たなきゃいけない機関なの?

2018/10/22 09:29
音大卒業生の悲惨な就職状況に関する考察 - ねこ哲の思考メモ

楽器の値段や全体的な教育費をさげられれば、少なくともそれ以外の専門職ルートと同じになる。就職に不利な学科なんて(たとえば哲学とか)いくらでもあるのでそれ以上の解決策はないだろう。

2018/10/22 08:23
音大卒業生の悲惨な就職状況に関する考察 - ねこ哲の思考メモ

興味深い。うちの子は音楽好きだからなぁ。天才ならともかく。才能があるから成功するわけではなく、音楽もビジネスってことなんかなぁ

2018/10/22 05:18
音大卒業生の悲惨な就職状況に関する考察 - ねこ哲の思考メモ

出身者の人に聞いた話ですが、音大や芸大への入学時点で、彼らは進路と学業の不一致を覚悟しているし、教師もそのことを伝えるそうです。私も情報系学部出身でプログラム関係の事をしていますが授業は関係ないですね

2018/10/21 10:27

 

 皆様から頂きました指摘はご尤な指摘が多く、半分近くが「音大はそもそも入学者絞ったら良いんじゃないか」という僕の意見に対する指摘であった。

 

 

僕が、音大は入学者絞ったら良いのではないか、と意見を述べた理由には、就職先の需給を考えた点以外に、単純に能力的に「もったいない」という気持ちとクラッシック音楽系業界の暗雲感がある。

 

後出しじゃんけん的で申し訳ない。

 

これは僕のイメージだが、音大入学レベルで演奏できる人は、日々弛まぬ努力を惜しむことなく続けるができ、かつ家庭環境も比較的良好で、勉強もやればできる人が多く、総合大学へいけばそれこそ上位の大学へ行ける可能性が高い人が多いだろうとイメージしている。

 

がしかし、音大へ行くと、そこから先、仮に就職先が音楽系では無くなった場合、そこから先、なかなか周囲から評価を受けにくいことが伺える。

 

 なぜなら、音楽系ではない道では、音大卒の人は少なく、音大生のスゴさがなかなかわかりにくいからだ。

 

文学部や文学部哲学科などに代表される就職と直結しない大学の学問は当然あるものの、これらは総合大学に設置されていることが多い。早稲田大学文学部や東京大学文学部哲学科など、入学時の大学名で、およそのレベルを図ることができる。

 

そのため、日大のような総合大学のうちの音楽科東京音楽大学のような単科の大学は事情が変わってくるだろう。

 

就職と大学で学ぶことが直接つながる必要はないと思うが、せっかくなら入学する時にした努力・在学中の努力分が社会に出た時に活きればなお良しと捉えている。

 

 

少し話を変えて、クラシック系音楽業界の暗雲感に話を移す。

 

クラシック系音楽は崇高であり、文化的であると感じる一方、近年のテクノロジー発展となかなか相性が悪いのではないか。と感じている。

 

20−30年以上の昔は、音楽を聴くことそのものが一苦労で、楽器を演奏できる人が重宝され、プロピアニストやオーケストラのコンサートが盛んであった。

 

CDができて、多数のオーケストラ系のCDが発売され、同じクラシックの曲を何人もの演奏家が弾いてきた。

 

クラシック系音楽の利点としては、著作権気をつけることなく、著名な曲を自由に弾ける点にあるが、それが故に、みんなが同じ曲を弾くから、その曲を弾くことに対する新鮮さが失われている。

 

当然、最近の音楽を弾こうとすると著作権をはじめとした権利問題に突き当たる。

 

時代が進化し、コンテンツが蓄積され、聞きたい音楽は、いつでも聞けるようになってきたが、過去の蓄積があるため、音楽を録音する需要は少なくなっているだろう。

 

一方、ピアノの先生のような「演奏を教える」という行為も、動画やオンラインサービスの流行により、多数の先生の必要性が薄れている。予備校と同様に、多数の先生より、1人のカリスマの先生が授業をする形式が主流となるだろう。

 

もはやクラシック系音楽に残された価値は、「多人数が一律に調律を持って奏でる瞬間の感動」を生で感じることぐらいしかないのだろうか。

 

音楽とテクノロジーで考えると、動画配信で「弾いてみた」のテーマで上手く人気を出すというユーチューバー的な道も最近みかけるが、この道はどの程度周囲は容認できるのだろうか?

 

子供の頃から音楽に触れ、ひたすらに楽器を練習して、極めてきた結果、20歳を超え、途中でプロになれるほどの才能はないと気づき、ユーチューバーとして一旗揚げようと、方向性を変える。

 

個人的にはアリだと思う。が、家庭の反応は気になるところである。

 

 

また、クラシック系を突き詰めて音大を卒業しても、実際プロになれる人間も一握りであることから、その道で人生進もうとするのは、いささかハイリターンであると感じる。

 

 

音大卒業後、結果的に、プロになれる人が一握りなのであれば、将棋や碁みたいにプロテストで絞り込んだらいいのに

 

将棋や碁みたいにプロをきっちり決めて、毎年○人プロになれます。年齢制限あります。のような制度があれば、もう少し話は変わるかもしれない。

将棋や碁で飯食っていこうとしたら、まずプロになる以外に道が無いから。

覚悟無き者は、ハードルの高さを早々に悟り、道を降りる。

道から降りることもまた勇気。

 

 

結局、音大は入学者を絞ったほうが良いのでは?

 

とは思うものの、音大で働く人々の生活や、志望者の多さから考えると、利権も絡むことから、入学者を絞ることは絶対にないと思う。入学者が絞られないと、就職先の受け皿が広がらなければ、そこから溢れる者が出続けるが、それは仕方のないことである。

 

はてなブックマークでコメントいただいた通り、ここで話してきたような内容、音大志望者の多くは就職とギャップがあることもわかっているし、覚悟を決めているようである。その志を応援したい。

 

 

まとめ

・テクノロジーの発達のせい(?)で、クラシックの曲を演奏できる価値が薄れてきているのではないか。

・音楽からユーチューバーになる道もあるだろうが、家庭的にはどの程度アリなのだろうか。

・やはり音大は入学者を絞った方が良いのでは?と思う反面、頑張る人は応援したい

 

 

いただいたコメントに感謝します。そこから考えて、理解が広がりました。