思考をPCに喩えて スペースとソフトウェアとエゴ
- CPU 基本的な頭の処理速度。あまり人それぞれ違いはない。
- メモリ 頭の思考スペース 人により大きく異なる
- ハードディスク 記憶容量 あまり人による違いはない
- ソフトウェア どのような思考パターンをするか 人により大きく異なる
- ウィルス 思考パターンの中でも特に負の感情や強力なエゴを指す 人により大きく異なる
思考している=メモリを消費していること
本当に自分の思考を意識して観察することは難しい。自分が考えているのか、それとも考えさせられているのか、どちらなのかたいていわからないと感じる。
そして、このエゴが出ることにより、人の頭は、思考によって埋め尽くされていく。
思考の中でも、負の感情が絡む思考はウィルス並のネガティブなパワーを発揮する。
終わりに
エゴの思考に気づく簡単な方法は、意識的に深呼吸を続けることである。
好きなもの、やりたいことを見つからない人へ
科学技術が発達してきて、誰でもあらゆる情報が手に入るようになり、多様な人生の選択肢があるように感じる現代は、表面的な自己満足は得やすいものの、自分の心の底から満たされるような人生を歩むことは難しくなっている。なぜなら、あまりにも多い情報―これらは社会から発信される情報だけでなく、身近な友人達から受け取る情報も含まれる―は、人を迷わせる元となるからである。情報が多くなれば選択肢は多くなる、選択肢が多くなれば人は迷う。心理学的にもありすぎる選択肢は、かえって選びにくくなることが知られている。
心理的トラップ:選択肢がたくさんあるとむしろ選べなくなる~マネーハック心理学15
人間は、今、目の前にある存在に対する感受性なくしては、本当にやりたいことや好きなものを見出すことができない。目の前に存在する様々な美に気づくことができなくなるのである。
目の前にある存在と感受性の例として、味覚を考えてみよう。頭の中であれこれ考えた状態で食事をするのと、頭の中で何も考えずに目の前の食事に集中して食べるのとどちらが良いか。
頭の中であれこれ考えながら食事をした場合、自分の食事に対して、食べてはいるけれども味覚をほとんど働かせることなく、ただ習慣的に食べていることになる。
- 自分が活躍できて、激務じゃなくて、待遇が良くて、楽しい仕事
- 器量が良くて、優しくて、美人の女性
- 仕事ができて、優しくて、頼れる家庭思いの男性
- 安くて、美味しくて、栄養価の高い食事
こういう明らかにアタリみたいなものは、世の中そうそう転がってない。
だが、エゴから来る頭の中のノイズは理想的なものを求めようとする。
自分の好きなもの、やりたいことを見つけるのを諦めてみるのも1つの手だ。諦めることで自然体になる。頭の中からノイズが消えていく。そして、目の前のことを受け入れる心ができるだろう。
諦めると見せかけて、諦めきれていない未練が残ったような態度じゃあ駄目だ。
「人生そんなにうまいようにいかないよ。」と人に諭しておいて、自分はまだ上手くいくように思っている人もいるだろう。
長くなってしまったが、まとめると、好きなことを見つけるには、頭の中のノイズを無くしていくことが大切である。
どうすれば頭のノイズが無くなるか。いかに自分のエゴを無くしていくかが大切になる。頭の中で考え事をしている自分に気づくことである。
自分で自分の思考がどう飛ぶかを観察できるようになれば、頭のノイズは晴れていくだろう。この頭の中の雲が晴れることで、あらゆる出来事に対して、魅力や充実感を感じるようになる。
好きなもの、やりたいことを見つけるというよりも、やること関わることが、好きになるし面白くなる。そんな状態になっていく。
思考の観察に関してはこちらでも述べている。
真面目な人は不真面目な人に違和感を感じる
真面目な人は不真面目な人に違和感を感じる。
ここに、僕は物理の力学で言う「作用反作用の法則」のようなものが人間の思考にも働いているんじゃないかって感じるんだ。
人は前向きに生きようとすると、様々なルールを自分に課す。
生き過ぎた正義感、正の性格は、自分も苦しくなるし、周りも苦しむこととなる。
漠然と生きると社会や他人への批判が積もる
漠然とした生き方と批判の関係はスポーツで考えてみればイメージがつかみやすい。
漠然と理想を決めず、あの選手のこれがダメ、この選手のこれがダメと、手当たり次第に欠点を探してみても、なかなか上達しないだろう。漠然と練習しても、周囲との比較に陥り、自分の欠点を平均値からの比較しかできない。このやり方では、常に比較から逃れることができず、曖昧な不安をいつも感じるようになり、選手として大成することがない。
スポーツであれば、自分の理想を抱くことが重要であることをすぐに理解できるが、これを人生に適用しようとしてもすぐに上手くはいかない。
どの人間が理想的なのか、どう生きるのが理想的なのか、自分は何ができるのか、社会では何が求められているのか
様々な価値観が入り混じり、現在の社会に感じる不安定性もあって、どう生きれば良いのか、人は漠然と迷うために、人生を漠然としたものとして捉えてしまう。
結果として、周囲との比較に陥り、環境や他者を批判的に捉えてしまう。
僕はこれまで漠然に生きてきて、周囲との比較に溺れてきた。環境に対して、批判的に捉えて、さもこれが解消すれば今の問題が解決できるかのように、批評を行ってきた。そして、心の中に、批判の意識がどんどん積もってくるのである。
漠然と生きると、様々な問題に対して違和感を感じ、それらにいちいち反論するような思考が頭の中で発生する。しかし、どう生きれば良いかを自分で決めることに抵抗感もある。
これまで生きてきて、人間としての生き方は、イメージがつくものの、社会の中での自分や人間の生き方は今だに漠然としている。
批判の気持ち悪さ
- 国会で他者の意見の批判ばかりに注力している光景
- 親や先輩や上司、先生といった立場が上の物が、教育や君のためだという名目を振りかざした批判
- ネットにおける炎上
- ネットでの動画や商品に対して浴びせる批判
- 批判のやりすぎ。批判することが快楽になっている場合が目立つ。
- 言動に対する批判がその人の人格否定につながる場合。
- ただのあら探し
批判の分類
批判のやりすぎ、人格否定
ただのあら探しに関して
中には、ウォーリーを探せをやってるかのごとく、人や物の欠点を指摘する人がいる。
これもまた批判が快感になっている場合だ。間違い探しをして、喜んでいるような状態。
心が未熟な者は、人のあら探しをして喜ぶパターンに陥る。
おわりに
そもそも何のために人は批判をするのか?
最初は悪意がなくとも、むしろ、善意でアドバイス、批評を行っていても気づけば批判になっている場合もある。
大切にするってどうゆうこと?
ふと感じたのが、大切ってどういうことだ?意味わからなくないか?ってことです。
この大切にすることの反対を考えてみると、無駄や粗末というイメージが沸く。
人による言葉のイメージの違いは、誤解につながる。
男にとって、大切にするってのは、守るってことか。女にとって、大切にするってのは、愛するってことか。
原始人にパソコンを与えたらどうなるか?
原始人にパソコンを与えたらどうなるだろうか
なぜなら、彼らはパソコンを創っていないから。
そう、この原始人にパソコンの例は、人間が気がついたら人間でしたっていうことの例えなんだ。
僕ら人間は、人間を創ったわけじゃない。気がついたら人間だった。
余計なことを喋らないためには、感情を抑えることと寡黙さを意識すると良さそう
昨日の 考えられない。考える。考えない。 に引き続いて、今回は喋ることに関して理解を深めたい。まずは漠然と喋ることについて取り上げる。
人と合わせて喋れない。喋る。余計なことを喋らない。
喋った方がいいのか。喋らない方がいいのか。
続きを読む考えられない。考える。考えない。
考えられない。考える。考えない。
批判を恐れる心。そして正当化。
批判を恐れる心。そして正当化。
結果や成果を求める人生
結果や成果を求める人生
しかし、人生というものは、競争がメインなのだろうか?
批判や疑いの裏側にはわからないという気持ちが隠れている
批判や疑いの裏にはわからないという気持ちが隠れている
ここで、批判が目立つのは、野球をよく知らない人間だろう。
あとは、野球好きのおっさんとか。
人が他人に対して文句を言う時、実際に自分がやったことがないことに対して文句を言う場合が多い。
できない人のネガティブ症候群よりもできる人のうぬぼれ症候群の方が厄介
できない人のネガティブ症候群よりもできる人のうぬぼれ症候群の方が厄介
早速ですが、人が上達したり、できるようになると、自惚れることはまず避けられない。
自分はできるって意識の中には、自分は頑張っている、自分はすごいって意識だけじゃない。こいつは、ダメ。あいつは、頑張ってない。っていう、他者を見下す価値観も含まれているんだ。
他者を批判していくことで、心は傲慢になり、自分を正当化して、自惚れていくわけだ。
自惚れて何か悪いことがあるのか
自分が成功するに従い、うぬぼれの種が育ち、傲慢さの花が咲く。
まずは、自惚れや傲慢さってのが知らず知らずの間に勝手に育ってきてしまうってことを理解しよう。
ミスを恐れるのではなく、ミスを用心すること。
ミスを恐れるのではなく、ミスを用心すること。
僕たち、ライフは1機しかないけどさ、ライフはそんな簡単に無くならないじゃない。そんなにミスすることを恐れなくったっていいんだ。大切なのは、ミスを恐れないことと、ミスしてもまた立ち直ること、あとは重大なミスを引き起こさないように用心するってことだ。
まずは、ミスをなんでやたらと恐れてしまうのか、理解してみよう。
ミスを恐れる気持ちってのは、成功への執着から生まれてくる。
人生の理想形ばかり追い求めていると、上を目指すことばかりに意識が集中してしまう。
上へ登れば登るほど、落ちることが怖くなる。失敗を恐れる気持ちが高まってくる。
意識が高いって人ほど、成長意欲が高いって人ほど、それが崩れることを恐れるようになるだろうなぁ。仮に、崩れてもなお、成長し続けようとする意欲が燃え盛る人は本物だ。
そして、上ばかり見てしまう心に加えて、何故だか人は、自分に都合の良いように人生を捉えがちになっちゃうんだなぁ。
これは、用心する心を失ってしまい結果的に重大なミスにつながる可能性がある。
結婚する時も、離婚の可能性があることとか、夫婦の仲が上手くいかない可能性があるとか、その辺のことはあんまり考えてないですよ。
よしんば、ちょっとは、結婚に関する将来の不安を考えることはあっても、関係が悪くなってきたとしたら、お互いどう乗り越えていくかってとこまで考えている人は少ないだろう。
結婚に至るまでの問題点の解消には、二人で全力を出すんだけど、一旦、結婚という関係が出来上がった後は、それが崩れていくと、立て直すのになかなか全力を出していけなくなる・・・。
自分の足元をしっかりと確認せずに、上ばかり見て、自分の都合の良いように人生を考えてしまうから、足元をすくわれるようになる。
ただ、逆に、何もかもを心配しすぎると、何も恐れてできなくなってしまうってことも起こりうる。
用心と心配は近いようで異なるが、はっきりと意識して区別することは難しい。
用心しているつもりが、ただ心配しているだけになる可能性もあるので、要注意だ。
他人のことは、心配になりやすいことに注意しておきたい。
まとめますと、
- 人生大したミスはそうそう無いから、あんまりミスにびくびくしないこと
- ミスを恐れるあまりに新たなミスを生み出すことがあるので、ミスは気にしない
- ミスに対して恐れることはせず、用心する