ねこ哲の思考メモ

気づきや日常をメモしていく。後に思考を整理するために。

純粋に向き合うためには、良いとか悪いとか考えないこと

物事に純粋に向き合うためには、物事の意味や善悪を考えないことである。

 
人の行動に対して、無関心でいることだ。無関係、無関心。
 
基本はこのスタンス。中には、無関心はいけないことだと主張する人もいるかもしれないが、意識的に無関心であることは、自分の成長を考えたばあい、極めて重要となる。寂しがりやの相手をする必要も無ければ、自分の心を慰める必要もない。これらは、自我が潤いを求めているだけなのだから。
 

意識的に無関心になることができなければ、本当に興味を持てることがなくなっていく。心を囚われる習慣ができてしまうからだ。

意識的に無関心になることは、他者から見たら冷たく感じるかもしれないが、そう感じている間は、その人間は自我が全面に出ている。

 

結局、自我が強い人が意味があるとか無いとか、寂しいとか、寂しくないとか、どこまでいっても主観的な価値観を生み出し続けていく。

 

人が判断を下そうとする時に、そこに自我があり、自分を正当化したり、他者を否定的に眺める。善を決めるから悪があり、良いを決めるから悪いがある。

 

心の感じるままっていうのは、自我が無い、心が澄み切った状態で物事を取り組むことだ。

 

周りに何があっても、心が流されることを許すなかれ。周りの出来事に対して、勝手に分析をはじめてはならない。