ねこ哲の思考メモ

気づきや日常をメモしていく。後に思考を整理するために。

できない人のネガティブ症候群よりもできる人のうぬぼれ症候群の方が厄介

できない人のネガティブ症候群よりもできる人のうぬぼれ症候群の方が厄介

 
できない人が、ネガティブ気味な傾向があるとか、言い訳しちゃうとか、その辺の傾向はもうみんなだいたい感じ取ってきている昨今、ポジティブシンキングをはじめとしたできる人になるためのメソッドが本だったりインターネットのあちらこちらで紹介されております。
 
さてさて、ここで表題にもありますように、めでたくポジティブになってきて、いわゆるできる人ってのが量産されるようになってきたのですが、ここでまた困ったことが発生している。今回はできる人特有の傾向、うぬぼれってやつの理解を深めていきたい。
 
たぶんこれはみんな感じている。いわゆるできる人やいわゆる成功してるっぽい人には、プライドや傲慢さ、自惚れの匂いがぷんぷんすることを。
 
ここで、真にできる人については除外していこう。
 
真にできる人は、自らが自惚れることを克服し、積極的で向上心がありながら、素直で謙虚さ、純粋さを兼ね備えた、全く臭みの無い人だ。
 
ここへ至るには、自惚れを克服することが必要だ。
 
ということで、自惚れを理解することにしよう。
 
早速ですが、人が上達したり、できるようになると、自惚れることはまず避けられない。
 
なぜなら、人ができるって感じるとき、そこに比較と批判の概念があるから。過去の自分や周囲と比べて、できるようになったなと、こう感じる時、心は緩む。
 
自分はできるって意識の中には、自分は頑張っている、自分はすごいって意識だけじゃない。こいつは、ダメ。あいつは、頑張ってない。っていう、他者を見下す価値観も含まれているんだ。
 
これは、別に自分ができないと感じる人でも感じちゃうことなんだけど、自分ができるって感じている人ほど、強く感じてしまうことなんだ。
 
真面目な人からすると、不真面目な人が目に付くし、頑張っている人からすると、頑張っていない人が目に付いてしまう。
 
そして、他者を批判する心とその他者を見て、自分はいけていると正当化する心が生まれてくる。
 
他者を批判していくことで、心は傲慢になり、自分を正当化して、自惚れていくわけだ。
 
普通に生きて、普通に努力していても、この自惚れるスパイラルに陥ることを避けるのは難しい。
 
自惚れればもっと他者を見下す心が強くなり、心が狭くなっていく。
 
 
もちろん、この自惚れにはレベルがある。もう、全面的に自慢が出てくる人と、そんなに自慢しないんだけど人を見下しているのがなんとなくわかる人がいる。
 
 
自惚れて何か悪いことがあるのか
 
自惚れる人の立場が弱者なのか強者なのかで状況は変わる。できる人は権力を有している可能性が高い。
 
弱者が自惚れた場合、そこには害は少ない。ただ、周りの人間が離れていくだけだ。
 
強者の場合、これは厄介な問題に結びつく場合がある。
 
自惚れると、傲慢さと組み合わさり、自分の価値観に合わぬものを排斥しようとする可能性がある。
 
権力と傲慢さは組み合わさるとタチが悪いが、だいたいいつもセットで他者を苦しめるようになる。
 
これは不思議だ。今、傲慢に見えるような人ももともとはそうではなかったろうに。。。
 
 
自分が成功するに従い、うぬぼれの種が育ち、傲慢さの花が咲く。
 
これを気をつけねばならない。雑草を刈り取るがごとく、己の未熟な心を根絶やしにしていかねばならぬ。
 
僕がこうやって文章を書いていても、その思考の裏側には、うぬぼれの心がやってくる。
 
ああ。自分、人間の思考に関していろんなことに気づけるなぁ。こういうことに気づけない人間は沢山いるんだろうなぁ。ってね。
 
この意識があることに気づき、それを消していきたい。
 
傲慢さはいったいどこからやってくるのか。うぬぼれはどうして出てくるのか。
 
これの背後には、人間の感情、特に、自分を特別視したいという欲求があるのだろう。
 
心理学の本にはこの辺のことは研究されているだろう。しかし、実際にどうやって消していくか。
 
自分が純粋に成長しながらも、全く嫌味の無いような、人間。
 
まさに宮沢賢治雨ニモ負ケズで出てくるような、素朴な生き方が僕の一つの理想だ。
 
まずは、自惚れや傲慢さってのが知らず知らずの間に勝手に育ってきてしまうってことを理解しよう。