ねこ哲の思考メモ

気づきや日常をメモしていく。後に思考を整理するために。

刺激のある情報って入れるのは楽だが、それに溺れると堕落する

刺激のある情報って入れるのは楽だが、それに溺れると堕落する

 

刺激のある情報ってわかりやすい。音が派手だったり、音にメロディーがあったり、動画だったりするわけだ。

 

あと、一番刺激があるのは他人と一緒にいるときに受ける情報。これは、友だちと喋っていてもそう。授業を受けていてもそう。テレビも刺激は強いが、それ以上に生のコミュニケーション。

 

この刺激の強い情報は、入れるのは楽。というよりも、勝手に入ってくる。刺激を受けていると。

 

で、この刺激が強い情報ってのは、わかりやすいし、一発で覚えてしまう。例えば、知り合いが付き合っていて別れました。っていう情報を聞いたら、もう2度と忘れない。1回聞いただけでも、1年は忘れないだろう。

 

これが英単語だったらどうだ。100回聞いても、聞いただけでは1年経ったら忘れる。記憶を定着させていかなければならない。

 

多くの人は、刺激のある情報に溺れる。刺激のある情報を求めてしまうんだ。

 

そして、その情報は、自分の中に入ってきても、また何回も繰り返される。感情が揺り動かされてしまうんだね。

 

そして、刺激が少ない、紙媒体の、いわゆる学習向けの情報を習得することはできなくなっていく。。。

 

ある程度の年が経てば、刺激そのものに慣れてきて落ち着くって可能性もあるんだけど、そうなったときに、刺激が少ないものから、満足が得られるかといえば、その可能性は低いだろう。

 

刺激に溺れないように意識していきたい。しかし、社会は往々にして人の感情を駆り立てる方向に発展していってしまっているわけだ。

それで、刺激が多い人生の方が幸せだって考える人も多いでしょう。人生、喜びが多いほうが幸せだって感じている人も多いでしょう。しかし、実際はそうではない。苦しみ無くして喜び無し。悲しさ無くして、嬉しさ無し。

 

結局、刺激が多いことを望めば、喜びの時間とともに、不幸の時間もやってくる可能性がべらぼうに高くなるのだ。

 

刺激を求めずして、ありのままの人生を受け入れ、平凡な日々であろうとも、生きる喜びを実感し、日々大切に生きていきたい。