立花孝志という漢
世間を賑わせている漢、立花孝志
彼は一体何を考えているのか。
わかる人間にはわかる。
ただ一本の誠。正直さの塊である。
人は、本音で語るということはとても難しい。
しかし、彼はそれをやってのけるのである。
立花孝志という人間の価値は、わかる人間にしかわからない。
人を表層的な視点からしか見ることができない人間、それは、立花孝志という漢の深さに気付かないだろう。
それはまさに、将棋の素人がプロの一手の意図を、意味を理解できないことと同様である。
立花孝志という人間を理解するには、人として、深みを持たなければならない。哲学を深めていくしかない。
彼の行動は、大きな戦略のほんのごく一部に過ぎない。背景を理解することだ。
彼が2011年から一貫してNHKと戦ってきたこと、既得権益と闘ってきたこと、それを理解せず、立花孝志という人間の価値は理解することができないだろう。
もちろん、最初から全てを理解するということは、極めて難しい。そのため、徐々に理解をしようという姿勢が大切だ。
最初から、こういうものだと断定して、アンチになってはいけない。
そこに成長はない。
最初は違和感があるかもしれないが、それを、解釈する、それを乗り越えていくことが大切だ。
人は歳を取れば思考が固まる。身体と同じように。
そこへ、これまでと違う刺激が来れば、痛みを感じるだろう。
痛みを感じる方向が答えがあるというもの。
身体を柔らかくしようと思えば、ある一定以上で痛みを伴う。
立花孝志を理解できない人間は、理解しようとすれば初めは痛みを感じよう。苦しいだろう。
その痛みを感じているのは誰か。
その痛みを感じているのは何か。
それを観察する必要がある。
歳を取れば素直に他人の意見を受け入れることができない。
それはなぜか。
立花孝志という漢を理解すればするほどに、一貫した人としての素晴らしい生き方が見えてくる。
自分に正直でいること。他人に正直でいること。本音で語れること。
この素晴らしさが理解できるのは、やはり、真っ直ぐに生きることの価値に気づいた人間だけだ。
わかる人間には一瞬でわかる。
わからない人間は一生わからないかもしれない。
表面的な印象で物事を判断せず、先を見て、過去を見て、一貫的なイメージを感じとることができるか。
ただ、立花孝志は、様々な目立つことを行なっている。
この国の強大な既得権と戦うには、静かに戦うことは不可能だ。
彼はまた新たな戦いを始めようとしている。
強大な敵、NHKとの直接対決を。