ねこ哲の思考メモ

気づきや日常をメモしていく。後に思考を整理するために。

まだまだ自我がいることに気づく

自分が何か作業をするときに、「あー、これは先生のせいで上手くいってないんだな。」とか、「周りのメンバーのモチベーションが低いのは◯◯のせいだ。」などと、呟いている自分がいることを発見した。

 

しかもずーっと昔から。何年もそれを繰り返しているから、それが当たり前のように感じてしまっていた。

 

分析めいたように考えて、批判的になる。そして例えば、「自分の基礎力が無いのは、自分の関わっている分野のせいだ。とか、周りの環境が起因しているかもしれない。」などと、平気で考えてしまっているようだ。

 

昔の自分は自我の意識が強烈だった。すぐに人と比較して、人を批判することを頭のなかで繰り返していた。

 

まだ、それらの意識が残っているらしい。見つける度に退治をしていこう。ネガティブな思考をしても仕方がない。

 

そして、別に周りがどうなろうとも、そこに対して意識を注がないことである。周りが悪く傾いていくと、そこに対して正義感が働いてしまう。そして、それで、自分の中に環境に対する批判が始まってしまうのである。

 

何も意識をしないこと。良くあろうとも、悪くあろうとも。自分が自然を眺めるのと同様に、何も関係なく、あるがままに受け入れることである。

 

まずは、自分が良くなっていくことなのである。自分が良くなっていくためには、周りから意識を切り離していかねばならない。

 

あらゆる物に対する執着を捨てることだ。自分も周りも。

 

そこから、心が研ぎ澄まされていく。

 

周りを意識しないで努力をただ続けることが、結果、周囲への貢献につながっていく。あるがままに、努力を続けていこう。

好きな人に対する意識は未完了の欲求から膨らむ

好きな人がいる。その人を忘れられない。そして思いがどんどん積もっていく。それは、好きな人に対する欲求が未完了だから。

 

この好きな人というのは、片想いの場合である。付き合った場合、相手に対する意識は変わっていく。付き合いはじめは、片想いの頃と同じような気持ちを維持するが、時が経つにつれてこの気持ちは変わっていく。

 

恋愛のパターンは2つに分けられる。

付き合ったけど別れた場合と付き合うことなく、何もなかった場合、あるいはフラれてしまった場合。

 

自分がフラれてしまうような形は、未練が残る。欲求が未完了のまま残る。

 

自分が過去にああしたい。こうしたいと考えたことは多くが未完了の欲求になっていく。あれもしたかった。これもしたかったと。

 

恋愛もそう。そして、その未完了の気持ちが強く残る。

 

この未完了の欲求を捨て去ることは自己向上には重要である。欲求が生じても、全てを満たすわけにもいかない。そして、この欲求を捨て去るためには、欲求そのものを理解していく必要がある。

 

どうして、自分がそのような欲求を持ったのか。どうしてその人を好きになったのか。

 

こう考えていくと、面白い。人が人を好きになる時、あまり理由が無い。男が女を好きになる時、かわいいから、とかやさしいからとかそういった理由が挙げられるかもしれないが、それを突き詰めようとすると理由がわからなくなる。

 

面白いのは、好きになる時、一人の人を好きになるようになるということである。

 

大抵の場合、この人。ってことでピンポイントに好きになる。ただ、この感覚は恋愛経験が豊富になってくると、変わってくるようである。

 

基本的には1人に注目していく。付き合う前から好きっていう場合もあるが、付き合ってから好きになっていく場合もある。

 

1人の人に対して、ずーっと考えるようになって、好きになっていくんだろうな。ちょっと相手と近づいたこととか、相手の仕草で印象に残ったこととか考え続けるんだろうな。

 

それでどんどん想いが膨らんでいく。

 

で、恋に敗れた場合は、あるいは何もしないで終わってしまった場合は、付き合う状態を知らぬまま、未完了の欲求が生まれるわけだ。

 

人間は未知であることに対して感情が膨らむ。付き合う状態を知らぬままに恋愛が終わると、そこに未完了の欲求があり、未知なる状態が残る。

 

相手を好きになるとき、相手について未知なることが多いから、だから感情が増幅されるんだろうな。そして、様々な期待を膨らます。

 

人は、未知であり、好意を抱くものに対して希望や期待を膨らませていく。週刊誌の次週予告なんかもそうだ。続きが気になっていく。

 

この続きに対する期待が膨らんだ状態で、その続きが無いと、もやもやした未完了の感情が心の中にとどまっていく。

 

この未完了の感情をどう取り扱っていくか。まずは、期待を持たぬことである。期待すると、期待が膨らみ、感情がうわついてくる。

 

期待が無ければ失望も無い。

 

だが、ここで、期待を持たないと努力が生まれないという声も挙がるかもしれない。人は期待して、努力することに慣れすぎている。

 

期待もせず、ただ、ひたすらに努力する生き方を多くの人は知らない。それは、芸術的な創造的な生き方である。欲求の束縛から開放された生き方。

 

努力を強いる生き方も欲求に縛られた価値観。努力しようとかしないとか考えることなく、頑張る。ただあるがままに。

 

それが、期待を持たずに努力する生き方。そうすれば、未完了の感情が生み出されることはない。未完了の欲求がたまると、雑念となり蓄積していく。それをまずつくらない。

 

期待というのは、そこに依存の心も含まれる。自分ではない誰かが、何かをしてくれる。依存の心にはそのような期待が含まれている。

 

まずは理解をしていこうか。

何してもダメな人ちょっとそこ座れ

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何してもダメな人

 

ちょっとそこ座れ。

 

君がそれなりに何かできるような人であれば、下の出口からすぐに立ち去った方がいい。此処から先は、何してもダメな人専用だ。

 

 

出口

 

 

 

よし。何してもダメな人間が集まったわけだ。早速始めようか。

 

君は、何をしてもダメな人。そうなんだね。

 

君、何をしてもダメって思っているけど、何ができて何ができないかって真剣に考えたことあるかい?

 

まず、自分が何ができて何ができないか考えてみること。これが大切だ。

 

これを考えてみれば、自分がなぜ何をしてもダメって感じるのか、その原因がおぼろげながらも感じとれるはずだ。

 

こう、自分がダメだと感じる時ってのは、仕事とか勉強とかスポーツとか、周りと競争の要素が入ってくることに対して、しょっちゅう、自分はダメなんだなぁって感じないかい?

 

自分の好きなことをやっている時ってのは、別に自分がダメとかあれができないとかこれができないってことは考えないもんだ。

 

競争に勝っていくには、努力が必要となる。

 

何やっても自分はダメだぁ。って感じる人は、努力ができない。いや、努力の仕方を知らないんだ。

 

努力できれば、何かができようになる。努力ができなければ、何もできるようにならないんだ。

 

これは君も充分わかっているだろう。いや、わかっているつもりになっているだろう。

 

努力の大切さを全く知らない人は、ほとんど皆無なはず。努力は大事じゃない。って言う人はまずいない。しかし、なんとなく、君は努力不足であると感じている。

 

何やってもダメな人は、まず、努力はしようとする。

 

でもね、その努力の仕方に関して理解が浅いから、努力は長続きしないし、その努力の程度も浅いんだ。

 

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じゃあ、その努力って何なのだろうか?

 

野球で例えると、甲子園に行くつもりで努力する高校球児と地区予選2回戦突破を目指して努力する高校球児の努力って言えば全然違うのはわかるかな?

 

何やってもダメな人の場合、この努力の程度が、地区予選2回戦突破どころか、1回戦も突破できないような努力量しかできていないんだ。

 

そして、その少しの努力量で成果を期待してしまうわけだ。

 

でも、本人は、あんまり自分の努力が足りないって気づけていない。

 

負けて負けて、負けたって、何で負けたのかあんまり気づけないし、考えようとしない。

 

負けた時に、あれがダメでできなかった。これがダメでできなかったと、すぐに周りのせい、何かのせいにしないかい?

 

失敗した時に、何が足りなかったのか、自分自身をしっかり見つめることできるかな?

何してもダメな人はさ、ここが甘いんだよね。とにかく、自分に甘い。

 

失敗した時にまず自分を省みることができないんだな。

 

だから、どのくらい努力をすればいいのかわからない。

 

本当に自分の今の環境を打破していくためには、どれくらいの努力をどれぐらいしていけばいいかっていう感覚が全然ないんだ。

 

まずは、己を見つめるようにするんだよ。

 

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特に、何か上手く行かなかったとき、努力が実らなかったとき、自分自身をしっかり見つめることだ。

 

まわりのせいにすることなく、言い訳をすることなく、自分自身の足りないところに気づくようにするんだ。

 

まだこれを見て、いや自分はこれはわかっている。だけど、自分は本当に努力しても何やってもダメなんだ。そういう人が中にはいるかもしれない。

 

それは、自分が自分でそう勝手に思い込んでいるだけだ。それは自分に甘い人が出す言葉なんだ。

 

ここも含めて、自分の足りないところに謙虚に向き合えるようになれば、君は、自分自身が変わるためのヒントに気づくことができるだろう。

 

すぐに見つけられるはずさ。

 

泥で濁っている湖の底に眠る宝は、すぐに見つけられないが、泥が落ち着き、澄んだ湖の底にある宝はすぐに見つかる。

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謙虚な心で、自分を見つめてみることだ。そうすれば、できることが1つ2つと増えていく。

 

自分が何してもダメな人だって思うことが、そもそも自分に対して言い訳しているってことに、気づけるはずさ

 

少しずつ変わっていこう。

 

 

 

こちらで、正直の大切を学ぶことも大変よろしい。

bkowasu.com

 

自分に正直に生きること。それもまた、重要なことだ。

 

他人をブサイクと呼ぶ人ちょっとそこ座れ

 

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他人をブサイクと呼ぶヤツちょっとそこ座れ

 

 

君が他人をブサイクだと呼んだり、こいつブサイクだなぁ、とすぐに思ってしまうような人は、ちょっとそこに座りなさい。

 

もし君が、他人をブサイクだと思っちゃいけないと、綺麗な心の持ち主だったら、すぐに立ち去った方がいい。

 

 

<出口>

 

 

 

よし。ここに残ったのは、他人をブサイクと呼ぶ人間ばかりのようだな。

 

君は、他人をブサイクだと考えるのだろうが、いったい誰にそれを教わったんだい?

 

みんなそう言っている。醜いものを醜いと言って何が悪い。

 

君はそう言うだろう。

 

じゃあ、君はどういうものが醜いのか、どういう顔がブサイクなのかわかるかな?

 

キモい、ダサい、醜い、ブサイク、これまで君は様々な言葉を用いて他人を形容してきたんだ。

 

君のブサイクという表現をどれくらい日常的に用いているか。それが問題だ。

 

次にブサイクだと感じる人に対する対応のパターンを挙げる。

 

  • ひどいレベル    →「うわー。ブサイク。」
  • ちょっとひどいレベル→「ああ・・・。美しくはないかな・・・。」
  • ある意味ひどいレベル→「◯◯さん、カワイイー。」
  • 普通のレベル    → 心の中で「うっ。うん、何も言わないでおこう。」
  • 神         → 心の中で「この人はもっと魅力がある。それを引き出そう。」

 

さて、君は上のどのパターンに当てはまるのかな?

 

大抵が、うっ。と心の中で思っても、口には出さないでいるだろう。

 

 

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何か言いたそうな顔をしているのはバレバレなんだ。

 

 

しかし、君の頭の中では、「あーこの人ブサイクやわー。」と呟いてしまっている。

 

それを、コントロールできたら、君は人として一皮や二皮どころじゃない。十皮はむけるだろう。

 

もし、君が「あっ。ブサイク。」って口に出せてしまうような人だったら、相当気をつけるべきだ。

 

君は、さすがに人にブサイクって言う時には、冗談で伝えているんだろうけど、これは相手を相当慎重に選んだほうがいい。直接ブサイクって言えるのは、そんなにブサイクじゃない人、つまり普通かそれ以上の人にしか使えない。

 

また、友達の彼女や彼氏のことをブサイクって言ってしまってはならない。特に、男同士では、すぐに相手が美人かどうかとか話題を出すが、それもNGだ。

 

中には、自分の彼女があんまり可愛くないって感じている人もいるからね。

 

美人の話をすると、それと同時にブサイクの意識も生まれてしまう。

 

ここに気をつけることだ。

 

これの逆を言えば、世の中ブサイクがいるから美人がいると捉えることもできるが、実際生活において、ブサイクは美人のことを意識するが、本当の美人はブサイクを相手にしないものである。

 

本当に美しいものは周りがどうあろうと美しい。

 

逆に、ブサイクというのは、これは他に比べるものがあって、相対的に生まれてくるんだ。

 

どこをどう見てもブサイクな人ってのは、世の中そういるもんじゃあない。

 

文化や人の価値観によって大きく変わってくるものなんだ。

 

君がブサイクだと感じている人だって、他の人が見たらちょっと可愛いって思うかもしれない。

 

もし君が、ブサイクに感じる自分の感情に対して、認識を改めることができたら、君は素晴らしい人格の持ち主だ。

 

最初は、ちょっと「ウッ。」って感じるかもしれないが、ちょっと見方を変えてみなさいよ。

 

見る角度を変えてみたっていい。前から見たら微妙だけど、横から見るといいなぁ。とか。

 

後ろ姿がいいなぁ。とか。

 

とにかく、前向きに眺めてみるようにすることだ。

 

君が好きになる人が可愛い人、美人である人、イケメンである人であったとしても、別に他の人をブサイクだと感じる必要はないんだよ。

 

そしてね、当たり前だけど、人の容姿ってものは、年が経つにつれて変わりゆくものなんだ。

 

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男だったらおっさんぽくなっていくだろう。頭もハゲるかもしれない。

 

女だったら、肌が老いてきてシワが目立つようになってくるだろう。

 

そりゃあ、誰だって、若い時に比べるとどんどん醜くなっていってしまうものさ。

 

でも、心まで醜くするこたぁないだろう。

 

例えば、今、ハゲを馬鹿にしている人は、将来的に自分がハゲかかってきたときに、昔の自分の記憶が蘇ってくるものだ。ああ・・・、自分はハゲたくない。ハゲは嫌だってね。

 

 

他人をブサイクだって感じている、考えちゃっている自分の心を観察してみたことはあるかい?

 

他人を醜いと感じちゃっている人ほど、醜い行為は無いねぇ。

 

そう思わないかい?

 

だから、逆に、これをやめていけば、どんどん心が綺麗な方向へ向かっていく。

 

さぁ、これがわかったら、他人をブサイクと呼ばず、考えることもせず、むしろ、魅力的な方面を探しだしていこうじゃないか。

 

ブサイクだと感じる人から魅力を見いだせる人は、自分の中でも、魅力を見出すことができるからね。

 

よし、わかったら、行ってよし。

 

 

自分をブサイクだと思う人ちょっとそこ座れ

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自分をブサイクだと思う人ちょっとそこ座れ

 

ブサイクじゃない人はすぐに立ち去った方がいい。こっから下を見ても大したことは書かれていない。ただただブサイクな人に向ける説教があるだけだ。

 

 

 

 

 

 

よし。残ったのはブサイクだけのようだね。じゃあ、早速始めようか。

 

 

君、ブサイクなんだよね?誰が君のことブサイクだって言っているんだい?

 

君が、君のことブサイクだって言っているの?

 

君が、君のことブサイクだって思っているの?

 

他に誰かが君のことブサイクだって言ったのかい?

 

友達とか親とか、彼女とか彼氏とか、君に向かってダサいとか、ブサイクだとか、カッコ悪いとかセンスが無いとか、そういうこと言っているのかい?

 

これまで、何回かは他の人に「君ってブサイクねー」って言われたこと、あるかもしれない。

 

でもさ、一番君のことブサイクだって言う人って誰か知ってるかい?

 

それは君自身なんだ。

 

 

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君がことある度に、例えば、鏡を見てからとか写真を見てとか、ガラス越しに自分が見えた時とか、「あー、自分ってなんでいけてないんだろう。」

 

そう、思ってやぁいませんか。

 

やれ、自分の顔の形が親に似ているだの、なんかもっと厚い唇が良かっただの、もっとまつげが長かったらいいだの、鼻が低いだの、一重は嫌だだの、顔のバランスが悪いだだの、もーあれこれ注文つけちゃうんだなぁ。

 

どーも、悪いところばっかに目が言ってしまうんだねぇ。

 

自分の顔がブサイクだって思っちゃている人は、心の中までブサイクなんだ。

 

だって、自分をブサイクなものって認めちゃっているもの。

 

自分をブサイクなようにしか自分を見れていない。そうじゃないかい?

 

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ブサイクな人はここがわかっていない。自分をブサイクな方面しか見れていない。悪いところばっかりに意識を集めちゃうんだ。

 

そしてさ、そう、ブサイクな人に限ってさ、他の人をブサイクだって感じちゃうんだよね。

 

この人よりは私の方が可愛いとか。こいつよりは俺の方がいけているとか。

 

いつまでも下の方ばかりみて、自分の気持ちを誤魔化している。

 

こういうのってね、スポーツでも勉強でも仕事でもなんでも一緒なんだなぁ。

 

できない人に限ってさ、自分よりできない人を探しちゃうわけ。

 

あー俺はこいつよりはマシだわーってね。

 

そういう人は何事もちっとも上達しないんだ。そういう人はちっとも上達しないから、結局、自分より下だと思っていた人に気づいたら負けちゃっていることだってある。

 

しかもさ、もっとタチが悪い人って、自分より明らかに勉強や、仕事、容姿や性格が良い人に対しても、ケチつけ始めちゃうんだよね。

 

いつも周りと自分を比べちゃっている。

 

こうなってくると、周りの悪い点ばっかりに目がいっちゃうし、当然、あなたもあなた自身の悪いところに意識が集まっちゃうでしょう。

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ブサイクな人は他人の粗探しが得意技である。

 

 

それでもね、人の悪いところばかりを見ちゃっているような人ってさ、それが自分の方にも跳ね返ってくるように、人間ってやつはできているみたいですよ。

 

人の悪いとこばかりを見るような人は、自分の悪いところが目についちゃうんだ。

 

 

さて、ここまで沢山話してきたけれど、まず理解しておきたいところは次の2点なんだ。

 

  • ブサイクな人は自分で自分をブサイクだと認めちゃっている
  • ブサイクな人は他人を悪く見る習性がある。この習性で自分も悪く見えちゃっている。

 

んじゃあ、ここからどうやって変わっていけばいいかなんだけど、本当に自分の根っこから変えていくのには時間がかかることをまず理解してほしい。

 

ここでは、短期的にとっても効果があるシンプルな方法をお伝えする。

 

これやるだけで、ブサイクだった女の子が、可愛らしくなって、ブサイクだった男の子が凛々しくなる方法。

 

いいかい。

 

君は、ニッコリと笑えるはずだ。

 

ニッコリ微笑むんだ。

 

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そうすると、美しいし、かっこいいんだよ。

 

とってもとっても見栄えが良くなるんだ。

 

え?そんなこと知っているって?

 

そんなはずはない。本当に笑顔が素敵な人は、自分のことブサイクだなんて思わないんだ。

 

ここで、なーんだ知っているよって言っちゃうような人って、やっぱり心がブサイクなんだなぁー。 

 

ここで、「ははぁー、そうかー。笑顔ってやっぱり改めて、大事。自分はなんとなく、表情が悪くなってた。容姿はそんなすぐには変わらないけど、笑顔になって、心を明るくしよう。」こう思える人は立派だよ。

 

極々稀に、笑顔が気持ち悪いって言われて気にしているって人もあるかもしれないが、だったら、もっと良い笑顔を作ったらどうだ?

 

ニッコリ笑っている間は、嫌なこと考えないだろう?

 

1秒だけじゃない。10秒いや、30秒、もっと笑顔を作ってみなさい。

 

心が晴れやかになってくるだろう?

そしてね、ここで、大切なことは、笑顔を作るってのと同時に、自分のことをブサイクだなんて思わないことだ。

 

 

心の中では、自分の容姿を肯定するんだよ。美しい、かわいい、かっこいいって思うんだ。

 

君はもっともっと美しくなるし、かっこ良くもなる。

 

そう信じて、鏡の前でニッコリ笑う、そういう美しい習性をつけなさい。自分がはっと気づいたら、すぐに笑顔になるんだよ。

 

 

自分に正直に生きることも大切だ。

「正直」である強さを、こちらでも学ぶと良い。

 

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