結果や成果を求める人生
結果や成果を求める人生
人生において、何をするにも結果が大切、いくら頑張ったって結果が出なければ仕方ない。こう考えている人は多くはないだろうか。
実際、スポーツや将棋のようなルールが明確である競争、競技の場であれば結果を求めるだろう。
あとは、受験や資格など、一律の条件下で競うのであれば、結果を求めるのは妥当である。
しかし、人生というものは、競争がメインなのだろうか?
成果や結果というものは人生においてどれほど大切なのだろうか?
家。家族。沢山の友人。仕事で成し遂げたこと。財産。
こう聞かれると、人生そんなに結果や成果は大切ではないと言うかもしれない。人生は人それぞれだ〜と。
しかし、心の底では、人生、人それぞれと言いながらも、他人の動向を意識してしまう。
結果や成果という意識は、競技する意識と結びついていて、さらには、損か得かという損得感情とも結びついている。
人より、得して生きていきたい。損するような人生は嫌だ。
やっぱり、なんだかんだこう思ってしまうのである。
僕は以前は、いちいち何かをやるたびに、これは自分にとって損か得か考えていた。この飲み会には行っておいたほうが得だ。とか。この人と付き合うと損する。とか。
また、他人の動向を牽制しながら、自分の方が、頑張っているとか、良い結果だとか、安っぽい正当化をしていたものだ。
これらの感情から逃れるには、自分は誰と競争していているのか、損とは何か、得とは何か、突き詰めて理解をしていくことが有効である。
これを突き詰めて考えていくと、自分にとって損なんてない。得もないってことに行きつく。
そこには、自分が生きたい道があるだけ。
本当の自分自身は、自分が今何をすべきなのかを知っている。
損得感情だったり、結果や成果に意識を回してしまうと、自分が何をやりたがっているのか気がつけなくなる。
ただあるがままに。
良いも悪いもない、損も得もない、善も悪もない、自然体。
自然体で、ただ、自分がやることをやれば、それで結果的には結果も出れば、成果も出る。
マラソンにおいては、他人との競争以上に、自分自身のペースをつかみ、ペースを理解し、フォームを洗練させ、タイムを早めていくことが大切だ。
人生は周囲から、やれ結果だの、こう生きるのがいいだの、これやっとかないと不安だの、年金は損するだの、なんだのかんだのと、あの手この手で、生きるペースを乱される刺激が飛び込んでくる。
様々な刺激に心を囚われることなく、あまり結果がどうなるとか意識せず、今の人生、瞬間瞬間を楽しみつつ、今やれることをやるだけ。
それで万事OKな気がするんだな。